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どんなに楽しい旅であっても、終りのない旅はない。
また、どんなに苦しい旅であっても、終りのない旅はない。
どんな旅であっても、終りはかならずやってくるのだ。
旅は人生の縮図であるともいえるし、
旅とは実は人生そのものだということもできる。

一昨日2011年5月1日、夜8時半にコンケン駅で列車に飛び乗った。
2等車の座席は満席だった。
しかたなくバンコク、ホアランポーン駅まで3等車の狭くて堅い座席で我慢した。
さらに、ディーゼル車の先頭車両だったので、音がものすごく、排気ガスが容赦なく目や喉(のど)を責めたてる。
列車は到着予定時刻の早朝5時より大幅に遅れて6時過ぎにホアランポーン駅に滑り込んだ。
9時間に及ぶ、拷問のようなつらい時間であった。
それでは、悪いことばかりだったのか。
答えはノーだ。
普段めったに交際できないタイ人家族と心も体も触れあう旅が楽しめた。

真向かいの体重80キロ超のおばさんは30歳くらい。
4~5歳の男の子を抱いている。
この堅い座席に座っているだけでも辛いのに子供を抱いているお母さんは柔和な表情をしている。
ときどき子供がむずかって、熟睡できないのか大声で泣きじゃぐる。
もしも白人の座席が近くにあれば間違いなくクレームをつけられるケースだ。
周囲のタイ人、全く動じない。動じているのは眠りを妨げられたスラチャイくらいのものだ。
満席状態で立ち席の人も多くいる。なんだか昔の日本の夜行列車の風景だ。

斜め前の20~30代の姉妹。なかなかの美形だ。
スラチャイが美人だなって見つめているとそれを見透かされたように笑顔を返してくる。
やがて妹のほうが眠りはじめて、姉の右肩に頭を埋めてこっくりしている。
こんなところでも美しい姉妹愛は人を感動させる。
もしもスラチャイが若くて独身だったら間違いなく話しかけているケースだ。

ずーっと向こうの席では、美しい20代の女性が大股開きでご開帳。
スラチャイが見て見ぬふりをして、そっと覗いていると、覗かれているのが分かるのか、閉じられてしまう。
こんな馬鹿なこと繰り返しているうちにも列車はひたすらバンコクを目指してがったんごっとん。
ご開帳のこの女性が突然目を覚ましてスラチャイと目があう。
赤くなって下を向いたのはスラチャイのほうであった。

横の30~40代のおばさん、スラチャイの横でやたらと姿勢をかえる。
そうでなくとも密着しているので、とても寝ていられる状態ではない。
スラチャイの左肩に頭を埋めて熟睡しているこの女性の首をしめてやろうかと思った。
こちらは一睡もしていないのだぞ!

コンケンからバンコクまでたくさんの駅に停車する。
深夜に列車が駅に到着する毎に大勢の物売りが乗り込んできて商いを行う。
次の停車駅までが勝負なので、深夜にもかかわらず大声が飛び交う。
タイの夜行列車でも三等車の車内はこの雰囲気なのでとても眠ることなどできないのだ。
売り子のなかにはまだ10代の美しいタイ娘がいたりするので、眠りかけていたスラチャイも現金なもの。
すぐに飛び起きて、飲み物や食べ物を買ってしまう。
サラパオ(中華まんじゅう)のお姉さんはまだ子供、多分14~15歳。美人だったな。
すらりと伸びた美しい姿態に圧倒されてしまった。
一瞬の静けさは、これらの売り子が列車を降りてしまって、次の売り子が乗り込むまでのわずかな時間だけなのだ。

明け方の6時半ころホアランポーン駅に到着した。
車内では乗車券のチェックがあるが駅の出口には係員さえいない。
誰でも自由に出たり入ったりできる。
3バーツ支払ってトイレを借りる。
タイでは公共トイレは有料なのだ。
電気カミソリでばりばりとひげを剃ると周囲のタイ人たちが珍しそうな顔をする。
かまわず歯を磨いて、顔を洗う。
爽快な気分が体いっぱいにあふれてくる。

ホアランポーン駅から徒歩10分で楽宮旅社、北京飯店がある。
スワニーさん元気にしているだろうか。
スワニーさんはまもなく80歳になる女性。
日本の貧乏旅行者(バックパッカー)にとって、楽宮旅社、北京飯店は聖地である。
欧米人のバックパッカーがカオサンを目指すのと好対照なのだ。
スワニーさんの料理はそのスピードが信条。いつもさっとおいしい日本料理を食べさせてくれる。
バンコクで遊びほうけてお金がなくなっては、ここで安い日本食を食べさせてもらった。
無性にスワニーさんに会いたくなった。

誘惑を断ち切って、ホアランポーン駅の地下鉄に飛び乗る。
日本大使館のあるルムピニまでわずか三つ目の駅であり、10分くらいで到着する。
早朝7時に日本大使館に到着、人影は全くない。
大使館領事部は8時半に業務開始であるが、8時には中に入れる。
8時にドアーが開くまで、チェンマイからやってきたビザ取得が目的の女性と、とりとめのない会話をする。
彼女は横須賀に行くと言っていた。

9時に在留証明申請を受け付けてもらったら、わずか30分で発行された。
大使の署名付きであるが、最近大使が人事異動で入れ替わっていた。
タイの大使は入れ替わりが激しいような印象を受ける。
これでは地に着いた大使館業務、サービスは難しいのではと思った。
大使は日本を代表する表看板なのだから。
職員はこの10年変わっていないようだ。
タイ語は流ちょうでもプライドが高すぎるような印象を受けた。(受け付けてもらった女性)

9時半に大使館の前からタクシーに飛び乗って、北バスターミナルへ。
いつもは高速道路を利用するが、運転手が今日はすいているので下を走りたいと抜かす。
何のことはない、時間をかけても走行距離を稼ぎたかっただけなのだ。
なつかしいあの道、この道、全部覚えていた。まるで昨日のことのように。
当時、バンコクの端から端までタクシーに乗っても100バーツを超すことはなかった。
北バスターミナルでメーターを見たら、137バーツとなっていたので、140バーツ支払った。
高速道路を利用すれば80バーツくらいなのだが、高速道路料金40バーツは客が支払う。
結局、時間の浪費であったが、バンコク観光をした気分にはひたれた。

10時半のバスに飛び乗って、夕方4時にはコンケンに無事戻ることができた。
コンケンのバスターミナルからローマホテルまで徒歩5分。
ローマホテルに駐車していた車に飛び乗って、団地に戻る。
まだ明るいので、娘たちは元気に外で遊んでいた。
バンコクからコンケンに戻ると空気までちがう。
安堵のため息を流したあとで、家族でローマホテルに戻りソレントレストランで食事をした。
酒を飲むので帰りはいつもタクシー。
わずか100バーツのタクシー代をけちって、事故っても情けない話だから。
私は小さな幸せを感じていた。
2011/05/10(火) 18:01 旅行記 permalink COM(0)
北京飯店はタイフリークの間ではかなり有名な店です。
小さな決して清潔とは言えない店ですが、スワニーさんがいつもいつも笑顔で対応してくれるのが救いでした。
バンコクはヨーロッパや西アジア、インドなどを旅行するバックパッカーの中継地点でした。
インドやパキスタンを旅行してヘトヘトになった旅行者たちが帰国の途中でここに立ち寄り久しぶりの日本食を味わったのです。味噌汁、焼き魚、冷奴、納豆、豚肉の生姜焼き、トンカツ、チャーハン、等々は長旅で疲れ果てた旅人たちの心を休めてくれました。場末でもこれだけ美味しく感じるというのが実感です。
狭い店の中には小さなテーブルが三つほどしかありませんが、テーブルの上に小さな本棚があり旅人が残していった週刊誌や漫画、文庫本等々が置かれてあります。旅人はこれらの雑誌を懐かしそうに眺めながら、ビールを飲んだり、食事をしたり、雑談したり…、当時は日本人貧乏旅行者の溜まり場だったのです。
スワニーさんは日本人のくだらない話を真面目に聞いてくれる数少ない人でした。
タイフリークでスワニーさんのお世話になった人は結構多いのではないでしょうか。
私もその末席を汚しています。
昨年の6月スワニーさんを久しぶりに訪ねましたが、もはやあの厚化粧もされていなくて別人かと思いました。
時の流れっていうものは本当に非情なものですね。
(スラチャイ記)

北京飯店(店の左側の鉄製スライド式扉をくぐり2Fの楽宮ホテル受付へ)

photo by srachai from OCNフォトフレンド

スワニーさん(20年くらい前の写真)

photo by srachai from OCNフォトフレンド
2010/09/13(月) 15:03 旅行記 permalink COM(0)
バンコク楽宮ホテル

「バンコク楽宮ホテル」は谷恒生が1980年代に書き下ろした徳間文庫の小説である。
一等航海士として、世界中の海を渡り歩いていたころの経験をもとにして、バンコク中華街ヤワラーのはずれにある「楽宮ホテル」に出入りする不思議な日本人の生態、ホテルに居住する笑顔の娼婦などとの交流などが描写されている。
80年代の貧乏旅行者たちが楽宮ホテルの一室の壁にこう書き残している。「金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、何もないのがヨーロッパ、問題外のオセアニア」、「豊かな青春、惨めな老後」、等々。
20年前私が楽宮ホテルを訪ねたときには落書きされた部屋を特定することも出来なかった。多分消されてしまったのであろう。部屋には多くの娼婦たちが寝泊りしていた。
ここは日本人貧乏旅行者の言わば溜まり場であったが、そのあまりの汚さに、その地位をすぐ近くのジュライホテルに奪われていた。どのくらい汚いかといえば昭和初期の公衆便所の小便器の脇に大きなベッドだけがむなしく横たわっていると表現できる。パスポートや現金は拠点ホテルのセイフティーボックスに納めて、とりあえず必要な現金のみズボンのポケットに押し込んでここに数日滞在した。
部屋は窓の無い階段下の狭い部屋で一泊50バーツ、日本人が泊まれる明るい窓のついた広い部屋は一泊120バーツだった。狭い部屋は居心地が悪いので娼婦たちは夕方になるとラジカセを片手に私の部屋まで押しかけて来た。毎晩集まる娼婦たちの人数は10名を超えていた。私は小額のお金を渡してビールやウイスキー、また屋台の軽食をパックしてもらったものを買ってきてもらい部屋で毎夜パーティーをした。楽しかった。深夜の2時頃には一人あたり50バーツのチップを渡して、それでやっと眠りにつくことができた。やがて、女を買わない変な日本人が有名になり、あぶれた街娼たちが集まりだしたので、潮時だと感じて拠点ホテルに戻った。ちょっと淋しかった。
ホテルの一階はタイフリークの間では有名な場末の北京飯店、経営者はスワニーさん。昨年の6月にここを訪れたときにもまだ元気で小さな汚いお店を一生懸命切り盛りしていた。スワニーさんとは長い間の顔見知り、私はビールを1本注文しておつまみは日本式冷奴、料理の素早さがこの店の信条である。スワニーさんとしばしの間世間話をして、それから私はタクシーでバンコク北バスターミナル(モーチット)まで戻り、すぐにコンケン行きのバスに飛び乗った。
(スラチャイ記)
2010/09/11(土) 14:13 旅行記 permalink COM(0)

昨年10月の後半2週間パタヤとラヨーンで過ごしました。このときは体調が悪くて、特に最初の1日目は途中で引き返そうかと思ったほどでした。パタヤからコーンケーンの自宅までは500キロ、旅の途中で徐々にですが体調が快復。無事自宅に安全運転でたどり着きました。大きな自信となりました。あと数回は自分でドライブできると思います。

2010/07/25(日) 07:09 旅行記 permalink COM(0)
今年の3月の後半、2週間に渡りラヨーンのメーラムプンビーチで過ごしました。
最初に現れる写真はタイの詩聖スントンプー記念碑を訪れたときに撮影したものです。
この記念碑はメーラムピンビーチの東側20kmのところにあります。
クレーンという街に隣接していますが、クレーンはスントンプーの生誕地です。(200年前)
後半現れる鹿の写真は、私のもう一つの実家(チャイヤプーム)の近くの自然動物園で撮影しました。
この動物園はプミポン国王の建設されたチュラポーンダム(美しいロックフィルダム)を含む広大な保存林の中にあります。プミポン国王はきわめて優れたシビルエンジニアでもあられます。


2010/07/22(木) 12:55 旅行記 permalink COM(0)
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プロフィール


カイちゃん父親に花束を捧げる

タイのスラチャイです

妻はタイ人、娘ばかり3人も!

PIC_0014.JPG

■近況

2009年の9月15日に脳梗塞を発症、右手が少し不自由になりました。
MRAで脳梗塞の部位を特定でき、素早い処置をとれたので大事に至りませんでした。
快復にむけてリハビリ中です。
(2011/01/01更新)

■自己紹介・リンク

[ はじめに ]
タイのスラチャイです。
英語学習に王道はありません。
毎日毎日の地道な努力の積み重ねが必要です。
スラチャイはNHKのラジオ英語会話で現在の英語力を身につけました。
一日僅か15分の学習でも数年間継続すれば相当な学習効果が期待できます。

[ 名前 ]
松井 清 (スラチャイ)

[ 略歴 ]
・福岡県出身
・国立高知大学卒業
・準大手建設会社に就職
・50歳で会社を早期退職
・99/10 タイ全土を旅行
・00/10 タイに移住
・03/07 カイちゃん誕生
・07/06 シーファーちゃん誕生
・現在タイ国コンケン在住

[ 座右の銘 ]
Slow and steady wins the race.
遅くとも着実な者が勝利する
(NHK基礎英語芹沢栄先生)

[ 学習の手引き ]
・音読して耳から英語を吸収
・Think in English.
・ネイティブ発音付辞書活用
・英英辞典を活用(英和も)
・翻訳和文で専門用語確認

[ English Newspapers ]
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Japan Times
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Bangkok Post
The Nations
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